私の仕事論

インタビュー

松井 一郎

「仕事・人生に必要なのは...」
大阪を変えた彼が語る仕事の流儀とは

2003年に大阪府議会議員選挙に当選して以降、大阪府知事や大阪市長として数々の改革を実施。橋下徹氏と「大阪維新の会」その後の「日本維新の会」を牽引し、2023年4月をもって大阪市長・維新顧問を退任。現在は自身のYouTubeチャンネルやメディア出演で活躍。

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「松井一郎」を作った父の言葉
うちの親父が僕に言い続けたのは、「ふてくされるな、拗ねるな、妬むな、やっかむな。」それから「自立せい、自分で食べれるようになれよ」、これしか言ってもらったことないんですよ。でも、よく考えるとこれが一番ポジティブだと思うんですよ。

そんな環境で育ったんで、政治家になる前は自分で商売やってましたけど、自分の置かれている状況が絶えず厳しい時があってもふてくされることはなかったし、人を妬むとか言うこともなかったですね。維新の会も、最初はすごく厳しいところから山あり谷ありの中でやってきてますけど、その厳しい時も後ろ向きにはならなかったですしね。
父の会社を継いだ時のエピソード
父から継いだ電気工事会社で不動産業や色々手掛けてました。僕は当時20代でしたけど、あの頃は非常に厳しい状況でした。バブルが崩壊したり、政治的にも公共工事に対して非常に厳しいネガティブな意見が多くて。でも全く仕事がないわけでもないし、そこで同業他社と切磋琢磨しながら、まずはその仕事の品質と営業力それからサービス力、それをパッケージにして、他社よりは少しマシな成果をお客さんにしっかりと提供できれば何とか生き残れたということですよね。

ただ、話が少し反れますけど、今、建築業界が非常に人手不足っていうのは、当時業界が非常に厳しくて、新しく入ってくる人がいなかったわけですけど、「手に職を付ける」というのは、AIではできないんです。例えば、国会答弁・議会答弁なんていうのは、AIが全部答弁作ってくれますよ。事務的な仕事はこれからAIに変わる可能性も非常に高い。そんな中でも建築でものを作っていくっていうのは、機械はある程度サポートしてくれるけど、結局最後は人の力っていうのはいるんでね。建築業界もだいぶ職場の環境も変わっているので、若い方には是非ともそういう業界に目を向けてもらいたいなとも思ってますね。
政治の世界への歩みとスタンス
結局、サービスを市民の皆さんにいかに負担なく日々の生活を送れるようにするか、行政サービス拡充していくかっていうのが役所の仕事なんですよ。そのために何が必要かいうと「財源」なんですよね。税収の範囲内でどうやりくりするかということなんですよ。ところが、日本の役所っていうのはもう前例踏襲。1度やり始めると時代に合わなくなってもやめれない。先輩方が作ってきた行政サービスなんで、役所の人からすると、これを否定するというのは先輩を否定することにも繋がる。なので、1度やったことをやめれないわけです。前例踏襲の場合、結果いろいろあっても、それを前任者の責任で済ませられますけど、サービスを新しくすると自分の責任になる。となれば躊躇する政治家もいて、マイナス面をどんどんアピールされると、やっぱり支持率が下がるから余計に躊躇する。だから大きく物事が進んでいかない。だから僕は、もう公約に掲げれば、その後、賛否両論あってもやる。そういうスタンスでずーっとやってきましたね。
会社経営から学んだ日本経済に必要なこと
やっぱり厳しい時にどういうふうに解決して乗り越えていくか、ですかね。日本の場合、よく役所が補助金を出して、特に中小企業の商売を守りましょうってあるんですけど、それは補助金が止まれば倒産するということなんで、延命措置だと僕は思ってるんですよ。だから時代に合わなくなった業種っていうのは、新しい業界にその人たちが変われる、そういう風な行政の支援が僕はあるべきだと思ってます。その時にそこで勤めてる人たちが違う職につけるように、雇用法制とかも僕は見直していくべきだと思います。そういう内容を政策として掲げると、一部の人からはもう大批判を浴びますよ。「終身雇用でどれだけの人が安心して働いてるか」なんてね。

でも終身雇用があるからこそ企業は内部留保を積み上げなければならないし、儲かっている時に人件費を上げられないわけですよ。だからやっぱり金銭解雇とかそういうこともタブーなしに議論し、基準をちゃんと作ることで、労働環境を変えて人材が流動化するのが、僕は日本の経済にとっては必要だと思いますね。
パワーの源は「怒り」
僕の政治の源泉は「怒り」なんです。
バブル経済が崩壊して東京も大変な状況にあったけど、やっぱり地方が一番大変でしたよ。特に大阪に関しては、人・モノ・企業が東京一極集中になっていく。自分の周りの人達も一生懸命やっていたけどもいなくなる。そういうのを経験する中で、2003年に府議会へ行ったら、周りは全くの他人事なんです。

「大阪が景気が悪いのも仕方がない」
「大阪は住みにくい」
「教育のサービスが行き届かない」
「医療福祉も不十分なところがたくさんある」

とか、そういう状況で皆もう「今は、仕方ない。そのうちまた良くなる時もあるやろ。」という感じで。政治家や役所の人達は全然痛まないんです。税金で給料を貰っていて、黙っていても毎年給料上がっていくわけで。自民党だろうが共産党だろうが、仲良しこよしのサロンみたいで本当にぬるま湯だったんです。だからもう僕は腹が立って仕方がなかった。「それはダメだろう」ということで、2003年に初当選した頃から、戦い始めたということですよね。
引退の理由
今回もうやめたのは、その「怒り」がなくなったからです。
今まで選挙をやって「頑張ってくれよ」っていうのはよくあったけど、「ありがとう」って言われる選挙は本当に初めてだったんで、「ありがとう」って言われたら怒ることないですよね。だからもう全然その怒りがないし、「大阪都構想」に負けたことも、やっぱりけじめとして、僕がトップなんだから責任を取るという。橋下徹さんも1度負けた時責任取ってるし、2度目負けた時は僕がトップだから責任とるということもありましたけどね。自分の政治家としての源泉である「怒り」がなくなってきたということで、引退を決意しました。
政治家としての成長
僕自身が政治家として成長したっていうのは、自分ではよくわかりません。ただ、結果として一緒にやりたいという人が増えてきてくれたっていうのが事実。その理由は、「同じことを言い続けてきたから」だと思うんですね。

「ぶれなかった」ということだと思うんですけど、「日本維新の会」っていうのは最初は府議会の、特に自民党出身者が多く30人ぐらいでスタートしました。今の大阪府知事の吉村さんとか大阪市長の横山さんというのは、2010年に維新の地方政党として手を挙げてくれた人たちで、2011年に統一地方選挙で初めて当選する。そんなメンバーが今もう4期になってね。1人は府知事、1人は大阪市長、国会議員になってるのも今3人いるのかな。その間、僕が行ってきたことは同じことを言ってきたし、公約も同じ公約を掲げて、それに向かってみんなで進んできたわけですよね。それの大一番が、二重行政を根本から変えるという「大阪都構想」だったわけです。
プレッシャーと向き合うのに必要な力
色々プレッシャーありますけど、一晩中寝ずに思い悩んでも解決するわけじゃないよねって、そういう風に思い込める鈍感力みたいなのはありますね。仕事終わって友達や家族でご飯食べる時まで思い悩んでも仕方がないですからね。

役所で仕事が終わると僕はジムに行ってスパで汗を流してから帰るんですけど、役所から近くのジムまで送ってもらって、そこで私用車に乗り換えて家まで帰るんです。すると公用車記録から毎日公用車でジムに行っているということが週刊誌に出たんですよ。でも、何が悪いんやと思いますからね。リフレッシュタイムなんで。

そういうのが週刊誌に出ると、「また週刊誌に叩かれるからもうやめとこうかな」とか、そういう人もいるかもしれないけど、僕は何とも思わなかったですし、週刊誌に出たからって一般市民、府民の皆さんにそのことで否定されることは、選挙結果を見れば無かったですからね。
リーダーとしての考え
大阪府知事は知事部局と言われるところだけで職員数が約1万人。そこに、学校の先生や警察官が入っていくと、大体予算を組むのは7万人の組織を動かしていくっていうことになるんです。大阪市長は今3万人ぐらいの職員数を動かしていくわけですけど、一番気をつけてたのは、「上から目線にはならないこと」ですね。世の中の雰囲気からすると「松井は絶対組織でパワハラやっている」という印象かもしれませんが、僕は職員にきつい言葉で言ったことないんで。その件で情報公開請求も12年間絶えず来てましたけど、府庁時代、市役所もパワハラのようなことで僕に怒鳴られた職員は一人もいません。それは、ビジネスマンの時から、部下であっても一緒に働いている仲間なんで、上から目線はやる必要はないと思っているんです。組織の中では上にいるんだから。

そして、目標は「具体的に分かりやすく」ですね。こういう風な獲得目標を作りたい。それはなぜ必要なのか。どうやればできるか。その意見を自分でまず具体的にみんなに示す、例えば大阪万博も万博がなぜ必要なのか、どうやれば誘致できるのか、こういうことをやっぱり組織の部下の皆さんに分かりやすく説明して理解してもらう。あとは自分がその結果を責任取るというそういう覚悟さえ示せばいいんじゃないかなと思うんですね。
働く方々に伝えたいこと
良い意味での欲は持ってもらいたいですよね。若い時は良い意味で欲を持って、それを達成するための具体的な行動を取っていく。それともう一つは、ビジネスや仕事っていう部分とプライベートはしっかり作るべきだと思います。プライベートで付き合っている人間関係が仕事に役に立つこというのは、僕の経験上も何度もあります。だから、会社経営者の人にはちょっと申し訳ないかもしれないけど、会社人間にはならない方がいいんじゃないかな。でも、経営者でも会社人間じゃない人いっぱいいてますから。その方が発想力想像力など、自分のスキルアップと思いますね。

それからやっぱり、鈍感力もつけた方が良い。ネガティブに思いつめないこと。人生は長いから。今、僕の息子とかも働いてるけど細かいことは聞きませんよ。もうとにかく前を向いてやれとしか言いません。プライベートはプライベートで会社一本ではないんだから。会社人間になると逆に周りが見えなくなることもある。だから、なるようにしかならないという気持ちで労働する年齢の間を過ごしてもらいたいですね。ただ、欲は持った方が良いよと思います。
政治家以外でしてみたい仕事
もう一回やれたとしても政治家だけはもうやりたくないな。(笑)
生まれ変わって何かの仕事、何になりたいと言われても、申し訳ないですが思いつきません。僕は仕事っていうのは「目的」じゃなくて「手段」なんで。人生を有意義に、自分に納得できる人生を送るための手段だと思ってるんで、この仕事が良いとか、今まで考えたことがなかったです。

編集者コメント 「鈍感力」をつける。「怒り」をパワーにして大阪を変え続けた松井さんだからこそこの3文字の重さを強く感じました。政治家として多くの方々と対峙する中でも、自分の時間を持つことでバランスを保っている。SNSの発展により、誹謗中傷など一般の方々でも他人の目を気にする時代。是非、皆さんも良い意味で「鈍感力」をつけて長い人生を歩んでほしいと思います。


松井 一郎

「仕事・人生に必要なのは...」
大阪を変えた彼が語る仕事の流儀とは