松井 大輔
9つの海外クラブを経験、41歳でサッカー・フットサルの
二刀流に挑戦する松井大輔の挑戦人生に迫る
2000年、京都パープルサンガに入団しプロサッカー選手としてキャリアをスタート。
2004年より海外進出し、これまでに9つの海外クラブを経験、またU-23含め3度日本代表に選出を果たす。40歳を超えた現在もY.S.C.C.横浜にてサッカーとフットサルの二刀流にて新たな挑戦を続けている。
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サッカーを始めたのは、小学校3年生の時で、友人のお兄ちゃんがずっとサッカーをやってたんで始めました。3年生からしか入れないということもあって、1、2年生の時は野球をやったり、いろんなスポーツをやりながらサッカーにのめり込むようになっていきましたね。中学校3年生の時に出場する大会とかなくなったタイミングで、親父が「英語圏に留学した方がいい、今後は多分英語を喋れないといけない」っていうことで行くことになって、なぜかフランスだったんですけど。
でも行けるところが、パリ・サンジェルマンっていう当時はライ―とレオナルドとか、もう凄く活躍しているブラジル代表がいたチームで、そこの15歳の選手たちと一緒にサッカーをやらせてもらうみたいな。当時パリ・サンジェルマンなんか全然知らないし、もうサッカーできるだけで嬉しいみたいな感じで行かせてもらって、2歳上の17歳クラスにも入らせていただいて、すごく楽しく終わったんですけど。その当時15歳でいきなりパリに住むって誰がお金を払ったりとか、クラブにはお金を払うかもしれないし、そういう難しい時期に入ってるんで、親父としては「とりあえず高校行きなさい。もし本当にそういう機会があれば海外にはいつでも多分行けるだろう」と。なのでその時代に行くのはやめて良かったなっていう風には今では思ってます。その後、ゆくゆくはフランスで僕はプレーするんですけど、別チームで当時「松井が欲しい」って言ってくれてた監督で、「あの当時なんで来なかったんだ」とか、「こんなに大きくなって、すごい選手になったね」って会話になりましたね。
そうですね。鹿児島実業の監督も「お前何で(パリに)行くんだ」みたいになってました(笑)。(鹿児島実業への)入団がすでに決まってたんで、何で行くんだみたいな。戦力がいなくなっても困るじゃないですか。だからちょっと喧嘩があったみたいですけど、そこはもうね、大人の事情で子供は何も知らなくていいという。やっぱり大人の親父の選択は間違ってなかったと思うし、幼少期は早めに出なくて、しっかりと日本の教育を受けた方がいいなという風には思ってますね。
まず誰に出会うか、誰と一緒に仕事するかですね。僕としてはやっぱり監督を選べなかったですけど、色んな良い監督に出会えたことは凄く良かったと思いますし、人徳というか、カズさん(三浦選手)にも出会えたこともそうですし、色んな影響を与えてくれる人、自分の中でやっぱ運命だと思うし、そういう人を引き寄せるって言うか。自分で求めていくというのは凄く大事だと思うので、その後の人生にも関わってくるだろうし、今なおカズさんとは凄い交流がありますし、色んな方と巡り合えたっていうのは、僕にとっては財産だと思います。
でもそのカズさんが入団して1年で別の神戸のチームに移籍してしまってカズさんに僕が何回も電話するようなことがありましたね。在籍していた京都パープルサンガがJ2に落ちたことで札幌とか神戸からも自分にオファーが来てました。その時、カズさんに「神戸から僕にもオファーが来てます。どういう風にしたらいいですか」みたいな話をしたんですよね。そしたら、カズさんに「いや、でも一番試合に出れるところがいい」と言われました。1年目で京都サンガの時は27試合出てたんで。色んなところからオファーを貰ったんですけど、京都という地元のチームで続けた方が良いと言われて残ったんだと思いますね。でもチームを離れた後も、カズさんに呼ばれて神戸によく遊びに行ってましたね。
サッカー選手は移籍することによって給料が上がるっていうパターンもあるんですけど。でもできれば同じチームで給料が上がるのが多分望ましいかもしれないですね。でも、自分としては色んなものを見たかったり、色んな文化と触れ合いたかったから移籍してました。移籍が僕としては楽しみでしかなかったんですよね。色んな国に行ける色んなチームに行ける自分の幅も広がってくる色んな人と出会える。僕だと一歩進むというよりかは、自然に前に足が出るっていう感じだったんで、移籍の話が後になりに言いますけど電話が掛かってくると、やはりワクワクするし、試合の時と同じような感覚になったんで、どういう町だっていうの検索したりとか、そういうのが楽しかったですね。
その文化というか人の輪の中に入っていくみたいな。そんな感じでしたけどね。自分でフランスに行きましたけど、フランス人になろうっていうぐらいの気持ちで。皆の輪の中に入ってご飯も一緒に行ったりだとか、何も言葉を喋れなくたって、どうしてもそういう輪の中に入っていったり、家族の中に一緒に遊びに行ったり、そういうのが楽しかったですね。何か色んな問題が海外だと起きるんで、それも楽しかったというか。
電気が付かないとか、インターネット繋がらない、車壊れるとか。車を当てられるともあったし、選手から車を当てられて挨拶してくるとか、何か日本ではあり得ないような、文化がやっぱ違うんで。バンバン当てるのは全然問題ないんです海外は。だから、朝当ててきて、「おはよう」みたいな。そういう毎日事件が起きるっていうか。それは楽しかったし、話の種が尽きないなっていう風に思いましたよね。色々な経験できたんで。
── プレーよりも環境から先にみんなの輪の中に入っていくイメージですね。
その方が面白かったですしね。サポーターも熱いし、負ければすぐ車が燃えたりとかもするし、1点決めればその町で有名になって、どこへ行っても御飯がタダになったりだとか、警察もどうぞどうぞみたいになったりとか、何かそのサッカーが根付いているっていうのもあって、結果を残せば、それだけみんなが認めてくれるっていうのが面白かったですね。
── プレースタイルやご自身の強み等は変えましたか?
環境によって変えていかないといけないっていう風には思ってましたね。会社もそうだと思いますけど、監督も変われば、色んな人たちも変わっていく中で、自分に何が求められているのかっていうのを考えながら、このポジションが空いてるとか大体分かる訳じゃないですか。そういうところを自分の中で見つめて、そのポジションに入っていくとか、自分としてはサイドハーフになっていたんで、ドリブルをするようになっていた。中盤っていう真ん中のポジションがなくなってきた時代なので、できればサイドでちょっとスペースのあるところでボールを触りたいっていう風な環境の変化で、そういう風なプレースタイルにだんだんなっていったような気がします。
あんまないな、辛いって思うことは。でも怪我かな。ブルガリア時代ぐらいの時にずっと怪我してたんで、1年間が経過して出られなかった時はああ、もうこんなに怪我してって思いましたけど。でも心のどっかでまだできるっていう風に思ってたんで。でもやっぱ壁にぶち当たった時にあがいたりだとか考えたりとか、その苦しい時期を過ごすっていうのは経験上必要なことで、いろんな経験ができてあるからこそ、いらない経験はないと思うんで、経験している数が多ければ多いほど、それに対処できる様になると思いますね。
失敗をしたりとか、何か悪いことがあった場合は1日中考えます。考えてこういう風にすべきだったとか、でもその次の日にはもう絶対に忘れてポジティブに行くっていうのがありますね。もう悩んでいてもしょうがないんで。次の日も次の日も悩んでたら、何も前に進めないっていう。なので1日目はちゃんともう自分の中で反省じゃないですけど、自分が悪いこともある。誰でもミスは起きるんです。そのミスはプラスに変えないといけないので、1日目はしっかり考えて、2日目はもう俺のせいじゃないよ。ぐらいのポジティブな感じでいきます。一番日本でちょっと無理かもしれないけど、海外に住んでいる日本人だったり、海外の人の考え方で、失敗したらすぐ人のせいにするんですけど。
自分のポジションの横の人が悪いとか、その考え方は割といいかなと僕は思ってます。自分で切り替えることができれば言わなくていいですよ。この人のせいですよみたいな。でも本当はあいつのせいだから、俺は別にいいやっていう風に切り替えて、次頑張ればいいと僕は思っているんで、そういうマインドだと自分は苦しまなくて済むという自分が傷つきたくないのであれば、ちょっとは自分の非を認めるのは日本では美徳とされているし、自分が悪いんですっていうのはいいんですけど。でもそこでずっと悩んでたりするのであれば、人のせいにしておいて、自分をもっと頑張ろうって思うそのマインドが必要かなとは思います。
やっぱり20年のワールドカップに選ばれるっていうのは凄く嬉しかったですね。その前の2006年のドイツワールドカップで選ばれなかったので。選出されなかった悔しい思いがあって、その4年っていうのは凄く苦しかったなと思っています。
── その4年間はどういう気持ちで動いていましたか?
代表の試合がある時はしっかりとその役割というか得点なり、アシストをするっていうことだけを考えていましたし、自分のチームでは結果をずっと残していく試合に出てないと、やっぱ選ばれないっていう風には言われてたんで、試合に絡んでいくっていうことをイメージしてました。
いや、大変だろうなと。レベルも凄く上がってきているし、その当時自分がボールを持って一人抜いていれば良かったものの、今はいろんな人の兼ね合いがないといけない。もうサッカーが進化しているんで、今の代表は大変なんだろうなとか、プラス所属チームも凄いレベルが上がってるっていうので、難しいだろうなって思いながら見てました。
そうですね。時代が変わって、理詰めのサッカーっていうのが多くなってきているんですよね。プラスしてサッカーIQ、頭が良くないとサッカーできなくなっているような時代なんで、それも加味してないといけない。ボールの間隔だけ足の感覚だけでやってる選手は少なくなってきて、自分をどううまく見せるかとか、その戦術に合っているのかとか難しくなって、自由度がやっぱ少なくなってきていますよね。その中で自分のプレーを出し、結果も出すのは難しいし大変だなっていうね。メディアにもすぐ評価されるし、SNSもあるし。僕らはなかったんでね。新聞だけが表層で評価したりとかしますけど、今はYOUTUBE評価もあるし、いろんな色んな人がすぐ評価をしたりするじゃないですか。叩いたりもするし、そういう環境にあるんで、大変だなと思います。
ワールドカップの時は本当に何も僕はノープレッシャーでした。自分の中ではプレッシャーを感じたことはなかったので良いプレーができたのかもしれないです。国際試合の1試合でしかなかったっという風に覚えてるんで、ワールドカップに出場したかったっていう思いはありましたけど、やっていく中ではそんなプレッシャーは感じなかったですね。
むしろ海外の方が怖いです。クラブハウスにサポーターが詰め寄ったりとか、発炎筒を持ってきたりとか、もう本当に勝たないとそっちのプレッシャーの方が凄かったような気がします。でももう自分としては関係ないっていう風に思いながらプレーしてました。チームはチーム。個人は個人。別に僕が叩かれようが、全然良いっていう風な。誰かが自分のことだけ分かってくれれば良いという風に思ってましてね。
最後は自分だけなんでね。フランスは個人主義の国なんで、誰も助けてくれないという風に思ったし、自分の力だけで上を目指そうとすることだけをフォーカスしながらサッカーができたっていうのは良かったですね。日本の場合はグループを大事にしたりだとかあるとは思いますけど、海外の場合はほんとに個人の能力次第で上に上がれるっていう環境でしたね。日本もちょっと多くなってきたのかな。だから悪い言い方したら自分のことだけしか考えてなかったっていう。それが良い風になったっていうのはあると思います。
大変でしたね、本当に。何回も海外へ行ってた割にコミュニケーションもあまり取れなかったり、英語を喋る子がいなかったりとか、試合に出られなかったりっていうのがあったので、2回目の時は半年で挫折の様な苦しい時代を過ごしました。でもそれでも楽しかったこともあるし、経験は活かせたというか。あの経験があったから今があるんだろうなというふうには思いますけどね。
サッカーは監督ありきだったりするんで、馴染めなくてもまた違う場所がある。でも失敗しないと分からないこともたくさんある。だからたくさん失敗して経験になるっていう風には思いましたし、ポーランドにもこういう町があって、こういうやり方があるんだなってことを知れたっていうのも良かったです。行かなかったよりかは、僕は行って良かったと思いますね。色んな会社の社長さんとかにお会いする機会が今多いですけど、やはり苦しい時代を過ごしている方が多かったりだとか、やっぱり失敗してる人もたくさんいらっしゃるので、そこでまた挑戦しようって思うのが今を築き上げているんだろうなっていう風には感じましたけどね。
何だろうな。今は目の前の試合で勝ちたいとか、そういう結果を残したいっていう思いでしかない。それがずっと続いてるだけであって、またそれにカズさんがいたりだとか、同世代以上の人たちが頑張っている姿を見ると、もっとやらないといけないんじゃないかとか、誰かに求められているからこそ、そこで頑張ってみようっていう風に思うのは多分、僕的には当たり前なのかなと思います。もう疲れやすくなっているのは当たり前のことなんで。 でも、それ以上にやらないといけないっていうことはもう技術でカバーしかないんで、たまにだからトレーナーの方から「もうオッサンですよ、ってわかってます?」みたいに言われますね。フットサルとサッカーを二刀流をやったりして、体がなかなか難しいところもありますけど、それはもう実験台になってみないと分かんない、やってみないと分からないんで、これは自分しかできないと思うし、やれるのであればやった方が良い。面白いから多分やっていると思いますね。
グラウンドの中で見える景色っていうのがまたコーチと違うんで、そういうところを選手が聞いてくるんで、それに対して答えていくことですね。前から選手をやりながらコーチの時もあったんですけど、だんだん切り替えながらも両方の視点から言えるような感じになってきているとは思います。監督の意向を聞きながら選手に伝える時もありますし、選手として1プレーヤーに対して意見を言う時もあるんで、向こう側は多分自分の意見を聞いているだけであって、そういうコーチだ、選手だっていうのは考えてないとは思いますけど。自分はそこの個人のところの戦術とかじゃない、個人がどう伸びるかっていうところだけをフォーカスして、その人に意見を言ってます。
── 言う、言わないはどういう風に見極めてらっしゃるんですか
性格的なこともありますよね。あんまり言わない方が良いという場合もあるじゃないですか。うまく自由にさせた方が良い人もいるだろうし、そこは自分の中で考えながら、監督はこういう風に言ってるけども、本人には言わなかったりだとか、ちょっと促す。後で「どうだった~?」みたいな感じで聞いてみる。聞き役・相談役っていうのも必要に応じたやり方をコーチとしての振る舞いをしていく感じですかね。
まぁ、とりあえずは今のチームをしっかりと一個一個の成果というか、結果を残しながら上を目指せば良いなと思いますし、将来的には子どもたちにサッカーを教えながらとか、自分の好きなことを見つけることができれば良いなと思いますけど、何かにチャレンジしながらお金を稼ぐことができれば良いかなと思いますね。
もうさんざん体を動かしたんで、もし違う人生があるなら、投資家としてドバイぐらいに住みたいなって(笑)。みんなが憧れる何もしなくても、もうパソコンでずっとやって稼ぐ、それも大変ですけどね。一番は体よりも頭を使った方が良いんじゃないかと思いますね。
編集者コメント
「あの時の経験があるから今がある」松井さんの全ての経験に対するプラスイメージは、一見シンプルに聞こえますが、日本代表・世界各国を回り、ほんの一部の選手しか見ることの出来ない景色を見てきた松井選手だからこその深い言葉であり、今なお挑戦する格好良さを感じました。また、自分の人生は自分次第だという考え方も、今自分の人生に悩める方々に届いてほしいと思います。コーチとしての挑戦は勿論ですが、三浦選手の後を追って最年長選手記録の更新を応援しております!
松井 大輔
9つの海外クラブを経験、41歳でサッカー・フットサルの
二刀流に挑戦する松井大輔の挑戦人生に迫る