私の仕事論

インタビュー

干場 義雅

「仕事で大事な3つのことは・・・」業界屈指のファッション誌編集長が語る仕事の極意

テ―ラーの家に生まれ、読者モデルの経験を機にファッションエディターの道へと進んだ干場さん。
『MA-1』、『モノ・マガジン』、『エスクァイア日本版』、『LEON』、『OCEANS』に携わり、現在は『FORZA STYLE』の編集長を行いながら会社の代表を務める。好きなことを仕事にする彼が仕事への思いを語る。

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干場義雅の学生時代と当時の苦労
都立の某高校に行くんですけど、滑り止めの高校であまり行きたい高校ではなかったんですよね。これまで割と勉強はしていた方なので、頭は良くないんですけど勉強しなくても学年で一番とかだったんです。その環境にあぐらをかいていたら全然勉強しなくなっちゃって。それでも成績が良かったんで、自分の趣味とか好きなことにどんどん没頭してました。
── その趣味がファッションですか?
そうですね。それがファッションでしたね。
宮下君という中学の時の同級生がいるんでね。「ザソロイスト」といって、今ではパリコレのデザイナーとしてもすごく有名になった方で、元々NUMBERNINEというブランドもやっていたんですけど。彼とすごく仲良くて洋服がすごく好きになってファッションに目覚めていきましたね。で、そもそも自分の実家がテーラーということあって、僕が継げば本当は4代目だったんですけれど、結局父に言われて継がなくなっちゃうんですよね。
なぜかというと、当時1989年から90年ぐらいで、バブルが崩壊したんですよ。そのバブル崩壊によって、うちの父が持っていた株が暴落するんですよね。暴落したことによって、株価も一気に下がって、それまで割と普通の生活をしていたんですけど、生活もすごく大変になりましたね。でも、ファッションに目覚めてしまって洋服は欲しい。でも、お金は当然そんなにあるわけじゃないし、生活としても苦しい。
遊びとファッションのためにはバイトもしないといけない。そういうことがすごく重なったことが一番最初の自分の実体験の中では、ちょっと苦労した部分かもしれませんね。
ファッション業界へ進む転機
親には言ってなかったんですけど、行きたい大学1校しか受けなくて。
本当に親には申し訳ないんですけど、残りの大学入学試験の金額45万分を洋服とか、それこそ女の子とのデートに使っちゃったりと言うダメ息子で。家は(生活面で)苦しかったんですけど、そんな中でもそういうことをしてたんで多分罰が当たったと思うんですね。大学に行けず、就職するかバイトをしないと家にはいられないということになったんですが、洋服がやっぱ好きだったんで、友達の知り合いの繋がりで、BEAMSでアルバイトをさせていただくっていうことが、仕事としてファッションに関わったきっかけですね。
ファッションエディターを目指した転機
最初は平日にBEAMSでアルバイトをしてたんですが、休みの日に宮下君から「雑誌のスナップやってるみたいだから一緒に表参道へ行かないか」という誘いを受けて行ったら『POPEYE』っていう有名な雑誌のファッションのスナップをやってたんですよ。
「君たち凄くお洒落だよね、ちょっと雑誌出る?」とかって言われて、たまたまスナップ写真を撮って貰っただけだったんですけど、「次の撮影をやるから来てくれ」って言われて、代官山のスタジオに行ったら、プロのカメラマンがセッティングされてて、ヘアメイクも居て、割とちゃんとした撮影だったんですね。そしたら次の雑誌を見たら、1ページに自分がバーンっと出てたんですよ。その後も読者モデルですけど、本当に凄いページ数に出るようになって、それがきっかけでスタイリストとかカメラマン、ヘアメイクの仕事とか、その裏には編集者って言う仕事があるんだっていうことを少しずつ学ぶようになっていきました。洋服が好きなんで、洋服を雑誌を作る立場として色んな人に提案していけるんだったら、スタイリストになりたいなと感じたのが一番最初のきっかけだったんです。なんですが、、話の続きがあって。撮影現場に行ったら、おじさんがいたんですよ。
そのおじさんが、格好いいジャケット着て、良い靴履いて、良い眼鏡してめちゃくちゃ身なりが上品でカッコ良かったんですよ。僕の好きな世界観を体現してる様なおじさんだったんですけど、そのおじさんに「おぅ、少年~。撮影全部終わったら、飯食いに行くか」って言われてついて行ったら、スタッフ全員良いメンバーで、美味しいものを食べさせてもらったんですよ。その後もバーやカラオケにも連れて行って貰ったんですけど、全部のお金をそのおじさんが払っていて「そのおじさん何をやっている人なんだろう。この人って何でこんな金持っているんだろう。」と思って聞いたら編集者だったんですね。
そこから編集者って何やってるのかなって興味が出てきて、その人が自分の頭の中を1枚の紙の中にタイトルを考えたり、文章を考えたり、ここに写真を置いてレイアウトを決めたりとか、全てを仕切っている監督のような存在が編集者っていうのを知って、面白い仕事だなと思ったんですよ。BEAMSでの仕事っていうのは、朝から晩までお店に立って服を売っていくことで、服は好きだから、それも勿論楽しいんです。今でもBEAMSの先輩たちにはすごくお世話になっていて、色んなことを教えてもらったりもするんですけど、それとは違う世界で頭をフル回転させて、ファッションということを、モデルを使ったり、スタイリストに洋服を借りてきてもらったり、カメラマンにこういう世界観で撮りましょうとかで、ヘアメイクの人にはこういう髪型にしてよとかって言って、全部オーガナイズしてる編集者っていうのがいるんだなと。最初に編集者を見た時に知的で凄くお洒落な仕事だなと感じたのがきっかけです。
ちょうどその当時にBEAMSの休憩時間に裏のストックルームにある『L’UOMO VOGUE』(イタリア版の『VOGUE』)を見るのが日課で。その時にファッションディレクターとファッションエディターがスナップされてる一コマを見つけて、イタリアの街の中でお洒落な男の二人が多分打ち合わせしてるようなシーンだったんですが、それ見た瞬間に「うわ。これはすごい格好な。こんな男の人になりたいな」と衝撃を受けました。こうなるためにはどうすればいいんだろうと思っていたところ、『POPEYE』をきっかけに色んな雑誌に出るようになって、その編集長みたいな方に直談判をして「お願いだから、この出版社にどうにか僕入れてくれないですかね。」って土下座をすることになるんですけど。
── 土下座までってかなり勇気のいる行動ですね。
知り合いの紹介っていうのもあったんですけど、最初は突っぱね返されましたね。 当然、出版社って頭も良くなくては入れませんし、そんな中で大学も行ってないのに勝ち上がっていけるのかみたいな話でね。「何ができるんだ」って言われて、「洋服のことは多分、恐らく誰にも負けないです」って風に言っちゃったんです。口から出まかせなんですけど。
そしたら、「何かお前ちょっと面白いから3ヶ月くらい見習いで見てやるよ。」って言われて、潜り込んだのが当時20歳の時ですね。好きな事だったっていうことと、どうしても何か手がかりでやりたいという気持ちが強かったですね。
編集者時代の辛かったこと
さっき言っていたメディアに入るにはどうしても学力が求められるので大学に出てなかったっていうのはまず一つですよね。
あとは23歳の時には違う雑誌に移るんですけど、それがインターナショナルマガジンで。日本だけでなくアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、各国で出版されている『エスクァイアマガジン』というのがあって、そこに入ると当然海外出張が増えるんですね。
入った瞬間に、「スイスに行け、一人で」って。一人で、ですよ⁉
Googleもない時代で、喋りも全然できないのにGoogle翻訳もないし、Google Mapもないし、「とにかく現地(スイス)でスタッフが待ってるから行ってくれ」って言われて、もう汗どころの騒ぎじゃなくて。帰ってきても、今度「ミラノへ行け」って言われて。ミラノ!?イタリア語⁉みたいな。そういう無茶ぶりで、英語もイタリア語も話せなかったっていうのもありますね。それも挫折といえば挫折でしたね。
── その時どういう気持ちで乗り越えられたんですか?
もう行くしかないって感じですよね。現地行ったら、とにかく色んな人に話しかけまくって分からない単語を聞いたりとかしてました。
ファッションショーのスケジュールって決まってて、大体朝9時くらいから夜6時ぐらいまで1時間おきにびっしり入っているんですよ。タクシーも電車やトラム(路面電車)の乗り方も知らないのに、1時間おきに移動してミラノ内の会場全部行かなくちゃいけないので、地図が分かんないとダメですし、もうめちゃくちゃ四苦八苦でしたね。
好きなことを仕事にした際の、仕事の壁の乗り越え方
無我夢中でやってきただけなんだよね。僕は洋服とかファッションが好きで、好きなことを続けられたってことも勿論あるんですけど、人の喜んでいる顔を見れた時とかがやっぱり好きですね。例えば、雑誌編集者になるとかっこいいページを作りましたは、全然OKなんですけど、やっぱり反響が出るページ作りができたとき、さらにそれを買った人が、「あのページを見て買ってすごく良かったよ」とかって言われたりすることがすごく喜びになるというか、生きがいになるんですよね。そういうことに支えられましたね。
あとは、その現状を見るのではなくて。常に僕、上を見てたので、こういう編集長になりたいなとか、俺だったらこういう雑誌を作りたいなとか、そういう夢とか希望をずっと持っていたんで、だから挫折みたいなことには屈しないように常に思ってましたね。
凄く僕は人に恵まれたんで、その上司たちに可愛がられたってこともあるんですけど、当然合わない上司とかもいたんですよ。でもその合わない自分の直属の上司とうまくやることも大事なんですけど、その直属の上司の更に上の上司を喜ばせると、この直属の上司に返っていくんですよ。直属の上司に返ってくると、「お前よくやったな」ってことになるんですよね。そうすると上に引っ張っくれるんですよ。そういう何か先々のことをすごく考えて動いてましたね。自分の持てる能力の中で自分をスキルアップさせるために、それも時短で。どうしたら先にいけるだろう。どうしたら上に行けるだろうとかってことを常に意識して考えてましたね。
38歳で起業 当時の状況
最初は裸一貫みたいな感じでしたね。
当然37歳ぐらいまでは、まあ良い給料を頂いて、会社という大きな船の中の一員として乗ってたんですけど、会社を飛び出して一人なわけですから一寸法師状態ですよね。本当にちっちゃいお椀で箸を持って漕ぐ感じで、おっきい波来たら流されちゃうみたい。そんな感じだったんですけど、もうやるしかないなと思ったんで、そこからは色んなお声がけ頂いた仕事とかはほとんど断らず全部やりましたね。
── どんなお仕事をされたんですか?
原稿を書くこと、トークショーをやること、テレビに出ること、ラジオに出ること。何かブランドのプロデュースも任されること。全部やりましたね。やってたら力がついてきて、何でも来いっていう状態ですね。100本ノックな感じでした。
── やったことのない仕事を受けた当時の心情は?
大体みんな「えっ!」とかって言って怯むじゃないですか。全く怯まなかったですね。何かやってみようみたいな。それは多分、昔話の桃太郎みたいな語で、おばあさんが川で洗濯していると桃が流れてきて、そのおっきい桃を掴んだじゃないですか。あれってチャンスだと思うんですよね。
それと一緒で目の前には必ずいろんなチャンスがあるんですけど、そのたった1個の桃が流れてきた時に掴めるかどうかっていう、アンテナを張るのはすごく大事かなと思いますね。それを大体掴めるか掴めないかで運って決まっちゃうんで、その時は掴めるようにしておこうという風に思ってましたね。ワンチャンスはワンタイムなんで、もう来たらバンって掴むっていう心意気はずっとあります。
成長を続ける秘訣
いろんな世界各国の方々にお会いしますが、その方が喜ぶことをしたいなと思うんですね。例えば「干場さん新しい時計出たんですよ」って言って時計メーカーの方に見せていただいた時に、似合うファッションを提案したり、どうやって雑誌に載せて紹介したらヒットさせることができるとか、頭フル回転でめちゃくちゃ考えるんですよ。それで掲載してヒットすると、関係者の方々が凄く喜んでくれて声をかけてくれる。それが僕の喜びなんですよね。
だから、まずは人に対して喜んでもらうということを常に続けていくことが僕の生きがいですね。「タライの理論」って呼んでるんですけど、まずは人に喜んでもらうと、後から必ず戻ってくるっていうのを教えてもらったことがあって、それをすごく意識していますね。
あとは良いことをなるべく時短で、すごく影響力が出るようなことを作るための何か自分のスキルアップっていうんですか。これを意識していますね。何なんか頼まれた時に「OKやりますよ」って言って。で、やってみて最大限の効果をバーンって出したらみんな喜ぶじゃないですか。「干場さんありがとう」とかって言ってくれると、ああ良かったみたいな。「じゃあまたなんか違う仕事振るね」みたいな、次につながることはあると思います。
まずは人に喜んでもらう、あとはそのチャンスを掴む、そしてもう一つはそのパンチ(影響力)を強くする。その3つが大切だと思います。
仕事をする上で意識していること
常に上を目指すという気持ちっていうのがもちろん大事だとは思うんですけど、時間というものが有限であるっていうことに気付くということがすごく大事だと思います。例えば、僕の場合は14年前ぐらいに父をもう亡くしてるんですね。空手も5段でっていう強い父親だったのが急に胃癌と共に30、40キロぐらいの体重になり弱くなって、それを目の当たりで見た時にあんな強かった父親がこんなに細く弱くなって死ぬんだと。人間って死ぬ、死があるということをに気づいて、それから考え方が一気って変わって。時間というものが、いかに大事なのかってことを考えるようになりましたね。交通事故で亡くなったりとか不慮の事故だったり、天災で亡くなったりとかいつ、どうやって死ぬかっていうのは全く予測不能なわけですよ。
死があるってことは、時間が有限である。時間が有限であるってことは、自分がやりたいなと思った「すぐやるべきだ」という結論にたどり着いて、いろんな方にインタビューをすると、口を揃えて成功してる人たちの言葉の中には「今すぐやれ」という言葉が絶対に出てくるんですよ。それを聞かされてもう確信しましたね。やりたいなと思ったら今やろうと思う。さっきの話と一緒ですね。川に桃が流れてきたら、一瞬で掴む。どうしよう、どうしようってやってる間にもうチャンスは流れていっちゃうんで。
今後の目標
実は、ほとんど自分のやりたいなと思っていたものは叶えてきてます。自分のスタイルっていうものをやっぱり貫き通したいなと思うので、例えるならば刀ですよ。刀をより研ぎ澄ませていくことをしていきたいなと思ってます。自分のスタイルという刀、それを綺麗にもっと研げる、もっと刃が切れるようにはしていきたいなと思っています。刃物に手を当てても、ちょっと切れ味が駄目だなって思うんだったら、もっともっと切れるようなそうになりたいなと思います。
── 今後、やりたいことはありますか?
そうですね。人に喜ばれることのもう少し大きいバージョンのことを、例えば日本から海外に良いものを伝えるような仕事だったりとか、地方創生ではないですけれど、地方からグローバルに伝えていくような仕事もしていきたいなと思いますし、それから日本を誇るようなブランドを一つ作る。自分の名前の冠のブランドってまだないんで、そういうものを作ったりとか。
あとは子供たちに今の時代って本当に生きにくい大変な時代だと思うんですけど。でもその中でどういう風にしていったら、その夢をつかめる、この番組(仕事論)もそうですけど、どういう風にしていったら、自分の好きなようなライフスタイルが出来上がるんだろうとか、そういうことを伝えていく仕事はしたいなと思っています
好きなことを仕事にしたい方へのアドバイス
とにかく続けるっていうのは好きなことだから続けられると思うんですよね。 例えば子供とかに面白いおもちゃを渡すとゲームでもいいですよ。やらせるとずっとやっているじゃないっすか。 「やめなさい」って言っても寝ないでやって知らない間に裏技覚えてたりとか、とんでもない数字のレベルまで行っていたりとか、好きなことってやらせると続くんですよね。 嫌いなことは「やれ」って言っても続かないじゃないですか。 好きなことって絶対続くので、そういうものをまず見つけることですよね。
自分が何を好きなのか。人を喜ばせることが好きなのか。ファッションが好きなのか、株価を見てるのが好きなのか。それともスポーツが好きなのか、その人によって能力とか好きなものって絶対違うと思うので、好きなものを見つけること、そしてそれを続けることがまずはすごく大事なことですかね。好きなものは爆発的な力を生み出すんですよね。
あとは、やりたいこと、自分はこうなりたいとかを人に言う。そうすると、誰か聞いてる人がいるんです。誰か聞いている人がいると、又聞きして「干場さんがこんなこと言ってたよ」とかっていう人が出てくるんです。だから、やりたいことを必ず必ず言っておくのはいいと思います。あと、自分にプレッシャーかかりますからね。ヤベ、やらないとみたいな。
あとは人に求められていることを考えることですかね。自分が好きなことを続けるってこともいいんですけど、人は何を求めてるんだろうっていう聞き耳を立てておくと仕事は増えていくと思うんで。仕事が増えると、自分の夢に一歩近づけるのが早くなると思うんですね。だから、人が何を求めているんだろっていう「時代を読む」という言い方もするんですけど、時代がこの先どうなるんだろうとかいうことは常に聞き耳を立てておく、そして時代の波に乗ることが大事だと思うんですね。
例えばサーフィンがあるじゃないですか、サーフィンってちょうど波が来たところに行って、自分でパドリングでやると乗れるんですね。けど、目の前に急に来た3メートルぐらいの波に乗れないんですよ。相当上手い人じゃないと潰されちゃうんですね。50メートルくらいの先から次の時代、何が来るんだろうっていうのをずっと見ている。波乗りの上手い人とかも、やっぱり遠くの波を見てますよね。次なる波ってどうやって来るんだろう。どのぐらいなんだろうと。このおっきい波来るんだったらじゃあここで一気に時代の波に乗って、思いっきり仕掛けていこうということに繋がると思うので、本当にとにかくよく周りを見て、その状況で人が何を求めてるのか時代が何を求めているのかっていうことを常に考えておくというのは、すごく大事なことですね。
それに伴って日々の生活でやらなくてはいけないことは「メモ」です。なんか良いこと言ったなと思ったら、メモすることが絶対大事です。取材能力の一番高い人、成功してる人はメモ魔ですね。ポストイットとかでもいいんですけど、良いと思った瞬間にメモすること。アイデアはいつ生まれるか分からないですからね。常にメモすることが大事だと思います。
雑誌編集長以外にやってみたいこと
ええ、もう自分に才能と能力が良かったら、本当にいろんなことをやってみたいですね。

①政治家
②テレビのキャスター
③オーケストラの指揮者
④建築家
⑤考古学者
⑥ロックミュージシャン

面白いと思うんですよね。全然違うんですけど、政治家は政治家で本当にリアルな裏のことから、表のことから含めて国を動かしていける立場って相当面白いなと。

テレビのキャスターは、昔ドラマで『パパはニュースキャスター』ってのがあったんですよ。 田村正和さんがやってた番組を見てたんですが、やってみたいです。

オーケストラの指揮者もそうですね。 自分に才能があったら、ウィーンフィルとかのおっきい楽団の指揮者やりながらコンダクターやりながらかつ作曲家もやって世界的な有名な曲とか作りたいなと思います。

考古学者はインディージョーンズの影響ですね。

建築家はやっぱりリチャードギアの映画で建築家の映画あったんですけど、『別れ道』っていうそういうのを見て、色んな建物を建てられるのって格好良いなとか、あとミース・ファン・デル・ローエっていう有名な建築家がいるんですけど、その人の建築すごい好きなんで、シンプルで直線的であるとか、世界的な有名な建築家っていうのは面白いだろうなと思ったりとか。

最後はやっぱりガンズアンドローゼスとかニルヴァーナとかロックミュージシャンって、もう神の領域で人に素晴らしいパフォーマンスを見せることができるんで、そういう意味でもうだからもういっぱいやりたいことあります。
── ご自身の考えを形にできるような仕事が多いですね
そうですね。おっしゃるとおり、具現化して、それを使ったことによって人に喜んでもらう。 人が喜んでいる姿というのが、その自分にとっての一番の喜びというか。それがあるから何かやりたいっていう気持ちになります。

編集者コメント 競争の激しい出版業界に自ら飛び込み、常に上を目指し成功を掴み取る干場さん。その裏には、好きなこと(ファッション)以上に人に喜んでもらうということが第一線にあり、チャレンジを確実に掴む精神やメモを取るなど、基礎的なことを丁寧に行っていらっしゃることが伝わり、成功者としての秘訣を再認識させられました。そして何より自分の理想を具現化したい思いの強さは、是非一歩を踏み出せていない方々に届けたい内容です。インタビューしていてもとても魅力的で、まさしく「男性も憧れの男性!」といった素敵な方でした。


干場 義雅

「仕事で大事な3つのことは・・・」業界屈指のファッション誌編集長が語る仕事の極意