私の仕事論

インタビュー

ヒロシ

苦節20年。「ヒロシです」で一世風靡し、ソロキャンプYouTuberで再ブレイク。
会社員・芸人・YouTuberと活躍の場を変え続けるヒロシの人生観に迫る

「僕の“逃げ”は、結果“攻め”になっている」そう語るヒロシさん。
2000年代初旬、「ヒロシです」のネタで一世風靡。
2009年に「テレビに出ない」と宣言しメディアへの露出が減り、
2015年よりソロキャンプYouTuberとして現在再ブレイク中。
そんな活躍の場を変え続ける彼の人生感に迫る。

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幼少期のエピソード
多分、今とあまり変わらなくて、大勢が苦手な子どもだったとは思ってます。
例えば、お正月とかお盆とかに滅多に会わない親戚が来て、その兄弟がリビングでくつろいでいるんですけど、僕はそこにちょっと入っていけないっていう感じでした。
人見知りが強かった感じかな。今もそれは変わらないんですよね。
芸人になるきっかけ
お笑いをやりたいと思ったのが小学校3年生ぐらいの時でした。具体的に行動に移したのは、大学在学中くらいかな。かなり遅いんですよね。何故かといったら、僕は熊本県の生まれなんですけど、お笑いやるんだったら東京か大阪に行かなきゃいけないと思ってたんです。でも単純に「芸人になる」+「都会に出る」ってことにビビっていたんですよね。なので一回就職したんですけど、やっぱり普通の働き方が合わない、できない人間だってはっきりと気付いたんで、「よし、もうやるしかない」と思って、現実から逃げるみたいな形でお笑いを始めているんですよね。
芸人へ転職した当時の心情
これが難しいとこで、普通、芸人になることの方が不安じゃないですか。それを避ける為に一旦就職して無理だと思ったんで、不安はなかったですね。
芸人の人たちって、素晴らしい人たちが、人格者の人たちがいっぱいいて、僕みたいな者でも受け入れてくれる土壌があると思ってたんですね。人見知りでもなんか受け入れてもらえる感じと思ってたんですよ。だから、やっと憧れてたお笑いの世界に一歩踏み入れた嬉しさと、やってやるぞという気持ちでいっぱいでしたね。
キレ芸を始めた漫才コンビ「ベイビーズ」時代
芸人始めてピンとかトリオとかやって、漫才コンビになったんですけど、わざわざキレてやろうとかいう気持ちでやってたわけじゃなくて、人見知りなんで舞台に立つ時とにかくでかい声を出すっということで、キレたのがきっかけかな。お客さんに対してキレてましたからね。出てきて「拍手が小さい。やり直し。」って言って、もう一回出囃子かけて出てくるみたいなことやってましたね。
「ヒロシです」誕生秘話
僕売れたのが32歳ぐらいの時なんですけど、「ヒロシです」考えたのが30歳ぐらいかな。当時は30歳ってちょっとやばいっていう年齢なんですよね。「30歳までやってダメだったらやめる」っていう目標でやる人が多かったんですけど、もうとっくに30歳を超えてたわけですよ。周りの友達とかもちょっとテレビ出たりとかしてた時期なんで、もうとにかく売れるネタを考えようと思って考えたのが「ヒロシです」なんですよね。
初めはちょっと考えやすいあるあるから考えようかって考えて、ちょっと音楽つけた方が聞き入りやすいかとか、いろんな売れそうな要素をぶち込んだのが「ヒロシです」ですね。とにかくもう相方が辞めた時点で、一人で何かやらなきゃいけないっていう、しかも売れるための何かをって考えた結果ですね。
── 何故「ヒロシ」なんですか?
別に健一(本名)でもいいんですけど、単純に芸名が欲しかったんですよね。昔テレビ番組の雑誌『TV Bros.』を買っていたんですけど、そこにでっかく、「生島ヒロシ」と書いてあったんですよ。それを見て「お、<ヒロシ>いいな」と思ってヒロシにしました。一瞬だけ「カズヤ」になったことあったんですけど、「カズヤ」はちょっと格好良すぎるなって思い「ヒロシ」にしましたね。
ブレイク当時の反響
僕人見知りなんだけど、別に普通に喋れるのは喋れるんですよね。でも売れた時期って、ヒロシってなんか会話も出来ないような人間みたいに思われてて。声を発せられない人だと思われてたみたいなんですけど、やっぱり売れてて注目されているから、周りから話しかけてくれるんですね。それは良かったですね。自分から話すというのは、やっぱり苦手で、周りから話してくる人が多かったから、最初は何か嬉しかったですよね。
テレビ出演を辞めた理由
結局、ここでまた出てくるのが人見知りですよね。
テレビで売れてもやっぱり収録始まる前に人と喋れない僕が、収録始まって喋れるわけもなく。ネタやる分には良いけど、「僕はテレビ向いてねえんだな」っていう風に考え始めたんですね。そこでちょっとは出るの辞めよって決めたんですね。
あんだけ憧れて一生懸命頑張ってやっとテレビ出れたのに、テレビ出ないって相当勇気がいるだろうとか思われると思うんですけど、それも”逃げ”なんですよね。だから全部逃げてきているんですよ。もうあそこに居たら具合悪くなる、向いていないと思って逃げたわけです。
でも、今度逃げたら逃げたで、「落ち目になる」って言われるから、なんかまた別のことやらなきゃなということで、いろいろ試し始めるんですね。だから結局、「逃げ」だとは思うんですけど、裏返せば「攻め」なんですよね。僕的には逃げるつもりでやってるんですけど、結果攻めになってるんですよ。逃げてもいいけど、その代わりもっと大変なことあるよっていうことを覚悟してやってたと思いますね。
ヒロシさんの原動力とは
やっぱり「見返してやりたい」という思いかな。
やっぱり小学校の時からもそうだったけど、学校の先生からも名前も顔も覚えられてないような生徒だったから。小学校から大学と鬱憤が溜まって、それをお笑いで1発、見返してやりたかったですね。芸人で売れるというのを諦めた時点で終わりなんで、続けられたんですよね。
── 今はどういったことに対して見返してやりたいと思っていますか?
それがもう何年か前からあんまりそういうことを考えなくなって、もう別にいいやの境地に来たというか。多分年齢的なものだと思うんですけど、欲がなくなりましたね。
結局、見返す・見返さないって自分の感情のことですもんね。自分が満足した。もうそれでいいんです。今キャンプの仕事に入って十分やりたいことをやっているし、自分が面白いと思うこともやっているし、何かそれで満足しちゃっているんですよね。
成功を掴む秘訣
とにかく何でもやってみることだと思います。失敗することの方が多いに決まっているんですよね。でも、とりあえず数打ち当たるで仕事になりそうなことをやって、どれか一個引っかかればいいわけで。若い時なんかもうパワーしかないわけなんで、失敗して当然なんですよね。
でも皆、ああだこうだ言ってやらない人が多いんですよ。僕も口ぐせで「でも・・・」とかよく言うんですけど、そう言いながら僕はやるんですよ。
そのうちの一つでYouTubeが当たって。当時は芸人がやたら馬鹿にされるみたいなノリがあったんですけど、別に僕が動画を上げたかったから上げただけなんです。そこでじゃあ何か馬鹿にされるから、辞めとこうって言ったら今の僕はないわけで、お笑いだって学校の先生からお前は面白いことも言ってないから「売れるわけがねえ」みたいなこと言われて、でも売れたじゃないですか。人って別に何も責任をとってくれないんで、自分で興味あることはとりあえずやってみれば良いと思いますね。
今後の目標
何か自分の人生を取り返しにいってますね。
今50歳になったんですけど、あと10年したら60歳なんですよ。でも気持ちは25歳の時と何も変わってないんですよ。僕は年取っているつもりないんですよ。でも寿命を考えると、20年動ければ良いぐらいじゃないですか。じゃあ、残りの時間で何ができるかってなれば、高校生の時に欲しかった原付バイクを買ったりとか、昔興味があったバンドをまた始めようとしてるんですよね。体が動かなくなる前にやりたいことを全部やりたいから。
あと、去年保護猫を初めて飼ったんですけど、飼ってみていろいろ考えることが出てきたんですよね。だから保護猫活動とか世のためになること、慈善家のようなことを軽くやれたらいいなって思ってますね。
芸人以外にやってみたい仕事
「トラック運転手」の可能性が高いですね。
これはお笑いを始めてなかったら、いろいろあってこれをやってたんじゃなかろうかっていう。特に長距離ドライバーとかしたいですね。車運転好きだし、自分のトラック持って装飾とかも楽しいじゃないですか。そういうのやってみたいですし、僕のイメージだと一人で自分のペースで行けるみたいなイメージがあって人と関わる機会は少なそうなんで、トラック運転手になっているような気がします。

編集者コメント SNSが主流になり、様々な方法でお金を稼げる時代な昨今ですが、行動にうつすことが出来ない方がまだまだ多いと思います。そんな中、やりたいこと・好きなことに飛び込み、行動するヒロシさんには各メディアでのネガティブな自己評価とは裏腹に、芯の強さ・行動力がありました。「僕の“逃げ”は、“攻め”になっている」という言葉、是非今の自分に悩む方々の歩み出す一つのきっかけになればと思います。


ヒロシ

苦節20年。「ヒロシです」で一世風靡し、ソロキャンプYouTuberで再ブレイク。
会社員・芸人・YouTuberと活躍の場を変え続けるヒロシの人生観に迫る