阿部 慎之助
現役時代、2,000試合以上でマスクをかぶり、8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験。
巨人の歴代最強キャッチャーとして沢山の人の記憶に残る阿部慎之助の野球人生に迫る。
2000年のドラフトで巨人から一位指名を受けプロ入り。その後、ジャイアンツの主軸として活躍。2019年現役引退後、現在は作戦兼ディフェンスチーフコーチとして選手の指導を行う。
※このインタビューは2022年に撮影されたものです。
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何の意味があるんだろうって思いながら僕らも罰を受けてた時もありました。まあこれが野球に通ずるなら喜んでやりたいと思ってたんですけどね。実際は下級生の時は理不尽に思うことばっかりだったんで、自分が大学4年になった時に絶対変えてあげようと思って、本当になくしたりしましたね。
ぱっと球場みたら大体厳しいところってどの子が下級生でどの子が上級生ってわかるはずなんですけど、多分僕が4年生だったときは2年、3年、4年生くらい、はわかんなかったはず。そういう雰囲気を作れればいいなと思ってやってたんで。
まあ若いピッチャーとかだったらゲーム後に、「あの時どうだからあれを投げたかったんだ?」って必ず聞いて、その時は別に僕に反抗したとかそういうことは一切思ってなくて、逆にしっかり考えた上で首振ったんだったらそこは心の中では褒めてましたね。
やっぱ自分の意思がないと首振れなかったでしょうし、なので本当に大事なケースとかだったら俺に任せろってのは言ってました。そうすれば、そこでもし打たれたりしたら、ベンチだったり、監督だったりに、俺が謝るっていうのは言ってあげてたつもりですね。自分が100点でもないですし、別に野球の博士でもないですし、もちろん配球って正解がないからだと思うんですけど。自分でそう思っていたんで、そうやっていましたけどね。
僕が二軍の監督就任した時に、僕が全部100点ですべて野球のこと知ってるわけではない。
僕もしったかぶらないし、わかんないことは聞いてくれ、わかんなかったら一緒に考えよう、わかんないことは自分もある、なので一緒に考えようってのは言いましたね。
そこでしったかぶってもどうしようもないんで。
そこで一緒に、じゃあそうだなあ、これも分かんないからどうしたらいいかなあ。一緒に考えようか、とか言ってくれた方が多分言われた方って気持ちいいと思うんですよね。
なるべく聞いてきたら答えられるように普段突っ立ってみてるつもりですけどね。
自分からあまり言わないようにして、なるべく聞いてきたら答えられる準備をしとく。
突っ立って見てますけど、あの子こうしたらいいのかなとか。
あれは合うのか合わないのか、というのを自分で整理しておいて、もし聞きに来た時にすぐスパッと答えられるように準備をしてあそこで一応突っ立ってるつもりですけどね。
そうですね。こうしろみたいな指示をされる、そういう時代だったんで。まあそればっかり。そういうときも必要ですし。そればっかりでもなっていうのは感じましたね。
まあやっぱりそういう欲がないと。原動力は欲ですよね。全部私欲になっちゃうんだけど、「もっともっと!」って思わないと。成績もそうですし。いい車買ったらもっといい車乗るために頑張ろうとか、もっといい時計したろ、とか次はなんか買ってそれを目標にしていかないと、って思うんですけどね。若い選手にもよく言うんですけどね、冗談で。お金持ちになりたいだろ、好きなもん食いたいだろ、好きな車乗りたいだろっていうのは冗談で話しますけどね。みんなその可能性あるんだぜ。だってこれ(ジャイアンツのユニフォーム)着てるんだから。あとは自分次第だよって。
その子に合ったっていうのは基本だと思ってるんで、全員に同じことを言っててもその人の捉え方だったりとかっていうのも違いますしその子の野球に対する感性、全員違うと思いますので。なるべく同じことは教えないように個人に合ってるか合ってないかっていうのを、こう見極めて試してもらってやってみたりとか、すぐやめてくれとか言ったりしますし。という風な教え方をしますよね。「自分はこの形を信じてます」そこまではないと思いますね。
例えばアッパースイングになっちゃう子に「ぶったたけ」って言ったら平行になるとか、それぐらい簡単なことなんですけど。ちょっと上からいきやすい子は「ちょっとアッパー気味で打ってみろ」とかっていうとよくなるとか、「アッパーで打て」っていうとおかしくなっちゃうとか。「アッパー“気味”で打ってみろ」っていうとちょうどよくなるとか。いろんな言葉のあやじゃないけど、言葉って難しいなって思いますけどね。だからこそ全員に同じことを教えてもだめだなって思うんですよね。
そのまあAランク、Bランク、Cランク、Cランクの子にAのことを言っても無理だし、Cランクの子にはCランクの中で教えてってあげてCの上みたいなのを教えたらどうかな、Bの下を教えたらどうかな、みたいな感じにしないとアップしていかないんで。いきなりCの子にAって言ったら行き詰まっちゃってなんもできなくなっちゃうんですよね多分。
この子こういう風にやらせてみようとか、こういう風にしたらどうかなとか。じゃあ今日やらせてみます、今日全然だめでした、じゃあやめようとか。
というコミュニケーションは、当時二軍の監督でコーチもいましたけど、そういう意思疎通はよくできてたかなっていうのは自分では思いますね。
一軍もそうでしたけど、その時も原監督がしっかりと情報の共有はしようっていうことだったんで、監督も一軍の首脳陣もそうですし、一軍の首脳陣と二軍の首脳陣でしっかり担当コーチとかで連絡を取り合ってというのはやってましたし。まあ今でもやってますけど。そういうことができてたんで今もできてますし、だからこそ若い子もちょこちょこ出だしたんじゃないかなと思いますけど。
技術ってどこで評価するっていったら結果しかないんで。とにかく人が文句言わない結果を残さないと技術がアップしたって言われない世界なんで、まずそこ(結果を残すこと)を自分でできるようにしようってのはやっぱ思いましたね。一年目から出させてもらって。
一年目やっぱり厳しんだなって思って二年目迎えたりしてそれをずっと重ねてきたんで。
誰かがやんないとそれを受け継いでいってくれる子もいないし、僕がやったからって、誰かが本当にできるのかっていうのも分からないですし。だけどこんなことやってたなってちょっとでも記憶に残ってくれてれば嬉しいだけであって。受け継いでほしいと思ったからやったわけでもないでしょうし、色んな試合の流れだったり、流れと間のスポーツだと思ってるんで野球は。まあ自己犠牲とかってのは勝つために必ず必要なことなんで、自己犠牲した選手には賞賛しようって僕も二軍の時に言ってたので。送りバント成功した、犠牲フライ打ったとかっていうのは言ってましたけどね。けどその前にやっぱり個人個人のことをしっかりやる、やらせるっていう方が大事なんで。それをできて、それが結集した時にっていうね。そういうのが少しでも生まれればいいのかなとは思いますね。
やっぱり多分もっと「あーしとけばよかった、こうしとけばよかった」ってあんまり思わなかったですね。一軍少し行ったことがあります、けど一線で活躍できませんでした、二軍で終わっちゃいました。っていう子の方が辞めてから「もっとあーしとけばよかったな、こうしとけばよかったな」って多分たくさん考えるんですよね。けどそこまで「あーこれやっとけばよかったな」とか僕あんまり思わなかったですね。だからすっきり辞めれましたね。技術のために、人よりは多少練習もしたんでしょうね。だからこそっていうのは、あるのかなと思いますよね。
仮に野球選手ではなかったら阿部さんはどんな職業をしてみたいですか?
うーん。これしか無いな、もう。
『銭湯』
実家がね、銭湯だったんですよ。実家が銭湯だったんで例えば今継いでたら、よく今の時代だったらスーパー銭湯とかあるじゃないですか。その上を行くスーパークオリティー銭湯みたいな。もう会員制銭湯みたいな、そういうのをやっても面白いかな。まあもう中学校の二、三年生の時には無くなっちゃったんですけど、けどすごいその思い出がたくさんあったので。まあほかの仕事もね、沢山魅力的な仕事たくさんあるんですけど。
うーん。無理だなって思いますね。今思えば。ちょっとかっこいいなって思うのは多分パイロットとかね、かっこいいなって思うし。日本人じゃなかったら空軍とか。アーミーで軍服着てフードコートとか行きたいなみたいなっていう(笑)。よくねハワイとかグアムとかフードコート行くと、たまにいるんで「わーかっこいいな」って思うんですよね(笑)
編集者コメント
阿部慎之助さん
『プロが相当の努力をしても技術はそう容易く上がらない』
この言葉に私も後輩の育成においてスピードや質を一方的に決めてはいないかとドキッとしました。
選手たち一人一人のレベルと課題を見極めた『オーダーメイド型の育成』を指導者全員で共有しながら進める。
画一的ではない新しい指導のスタイルに大変感銘を受けました。
阿部 慎之助
現役時代、2,000試合以上でマスクをかぶり、8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験。
巨人の歴代最強キャッチャーとして沢山の人の記憶に残る阿部慎之助の野球人生に迫る。