私の仕事論

インタビュー

竹原 慎二さん

引退後の厳しい現実、そして闘病。竹原慎二はどう乗り越えたのか。

1989年にプロボクサーとしてデビューし、1995年に日本人で初めてWBA世界ミドル級チャンピオンを獲得。その後タレントとしてテレビ・ラジオで活躍。
2014年に膀胱がんと診断されるも闘病生活経て、今はYoutube、TikTokなど活躍の場を広げて活動中。

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ボクシングとの出会い
ただ粋がってるだけで、そのうちちょっと喧嘩相手を入院させたわけですよ。その時にうちの親父が出てきてね。うちの親父、元ボクサーだったんですよ。それで「正々堂々としたところで勝負しろ!」ってボクシングを勧めてきたんです。けど16歳になってすぐの頃はやりたいっていう興味はあるんですけど勇気がなかったんですよね。面倒くさいとか疲れる、遊びたいとか、という気持ちが強かったですね。 それから半年後ぐらいに、今度は上の人たちにボコボコにやられたんですよ。その時に、はじめはいやらしい考えで闇討ちしてやろうとか、もっと上の人たちに報復してもらおうとか考えてたら、自分自身が情けなくなってしまって。「俺はやっぱり腐ってるな・・・」と思って。このまま広島にいたらダメだと。 それで親父に、「真剣にボクシングやってみるわ」って伝えて来たのがきっかけですね。その後親父に東京でジムを探してもらって、それがボクシングとの出会いですね。
このままじゃだめだな、もうちょっと真面目にやった方がいいなと思うようになって、東京行って真面目にボクシングやってみようっていう気持ちになりました。今までは本当に中途半端でしたから。
東京に出て内装会社で肉体労働をしてるうちに色んな人がやっぱりサポートしてくれるようになったんですよ。当時のその会社の社長さんとか、周りの人とか色んなサポートをしてくれて、色んな人の支えで少しずつ変わっていきました。頑張ってるうちに、この人たちを裏切っちゃだめだな、もっと真剣にやらないといけないなっていうのが段々芽生えるというか気づかされましたね。ちょっとずつ考えさせられながら進歩したって感じですかね。いっぺんに変わるはずないんですよ人間って。
仕事としてのボクシング
ボクシングなんか今でもそうですけど仕事として成り立たないですよ。
僕は、日本チャンピオンになって4回防衛したんですよ。それで東洋チャンピオン6回防衛したんですけど、結局日本チャンピオンでもいい試合したって100万あるかないかぐらいのファイトマネーですよ。年間3回やったって300万ですよ。それじゃ生活できないですよ。今でこそSNSとか使ってチャンピオンだったら稼げる手がありますけど、俺らの頃なんて本当に一試合やっていくらっていう。
生活をサポートしてくれる人はいなかったんで仕事をしながらですね。だからね、楽してボクシングやろうとか、いいスポンサー見つけて練習だけやれる環境に身を置きたいという子を見つけるとちょっとむかつくんですよね。お前そんな考えじゃだめだぞと。真面目に仕事を頑張りながらボクシング、そういう姿勢でいないと応援してくれないぞと。常にだれかスポンサーになってくれませんか、みたいな感じでいるようじゃだめですよね。そう思うんですけどね。娘からはいつも考え方が古いって言われますけど。
東洋チャンピオンになった時、チャンピオンの間だけはボクシングに専念したいってことで、お世話になっている内装会社の社長に仕事を辞めさせてくださいって言ってボクシングに専念したんです。そしたら当時の社長は、じゃあ分かった頑張れよ!って言ってくれて。保険とか全部こっちでやってやるからってサポートしてくれたんですよね。今まで頑張ったからそういうことをやってくれたと思うし、その人を裏切る訳にはいかないんで頑張れたってのはありましたからね。
現役時代の原動力
幼少時代から貧乏で、誰からも認められたことない少年が東京でボクシングやり始めたら、勝つ度に褒められるわけですよ。すごいって言われて、それを裏切っちゃいけないとか負けたら手のひらを返されてみんなに背を向けられるんじゃないかという恐怖心もあるし、どんなに頑張っても中には認めてくれない人もいっぱいいるわけですよ。
日本や東洋の中では強いかもしれないけど世界なんか絶対無理だと。それに対する反骨精神もありますよね。あと俺だけならいいけど、俺の親とも喧嘩する人がいるんです。お前の息子は日本チャンピオン、東洋チャンピオンになったか分からないけど、世界なんか絶対無理って。取っ組み合いの喧嘩したらしいんですようちの親父が。それを聞いたら悔しいじゃないですか。負けたら結局そいつの言う通りだし、そういう悔しさもありましたね。あと試合の時は対戦相手と体重も一緒だし、何が違うんだっていう開き直って頑張れたっていうのがあるんじゃないですかね。
あと、一番は本当に中途半端な自分を変えたくて東京出てきたので、そこから勝つ度に気持ちが変わったんですよね。家族への中傷とかあるわけじゃないですか。だからみんなのために結果を出さないといけないなって。俺の兄貴も元々すごい悪かったんですけど、「慎二が頑張ってるから俺もちゃんとしなきゃ」って変わっていって。今広島で焼肉屋やってるんですけど結構頑張ってるんですよ。兄貴にはそれを言うとおこがましいと思われるかもしれないけど、それで竹原家は変わったんで良かったなと思いますね。
誰のための努力か
なぜそこまで頑張れたかというと、自分のためですよ。時々ファンレターで、竹原さんのファイトを見て僕は元気をもらいましたって来るんです。でもその当時はその意味が分からなかったんです。俺は自分のためにやってるのに、見てる人は試合や練習、減量とかをイメージして見てくれているので、殴られてもダウンしても向かっていったりする姿を見て感銘を受けて、竹原さんのおかげで元気がもらえましたって言ってくれるんです。今となれば本当に「そっか、スポーツって頑張ってる姿を見せられたらパワーを与えられるんだ」と思いますね。
だからよくボクシングやる人で「他人を感動させたい、させるボクシングをやりたいです」とかいう人、俺大嫌いですもん。感動させるためにボクシングを始めたのか、それは違うだろと。お前の頑張ってる姿を見て、見てる人が勝手に感動するもんで、人を感動させるためにやるもんじゃないだろっていう、ちょっと頭の固い自分もいます。
引退後の自分
引退後は結構腐ってましたからね。
辞めた時に芸能界でやりますって言って、当時入っていたプロダクションの人と記者会見をしたんです。元世界チャンピオンだから楽して稼げると思ってたんですよ、芸能界って。チャンピオンになった時に呼ばれて行ったらね、5万10万とギャラを貰えるわけじゃないですか。すごいおいしいなと思うわけですよ。でもそういう考えで芸能界入ったら仕事なんかまったく来ないんですよ。それで結婚して長男が生まれて、でも仕事は来ない。家に居るけど居づらいので、朝から晩まで貯金崩してパチンコ打って、夜になったら近所の仲間と安い居酒屋行って飲んで、それをずっと繰り返してたんですよ2年くらい。夫婦喧嘩も勃発ですよ。もういい加減にしてよって。でも自分も本当に参っていて何やればいいのか分からないじゃないですか。
それでも現役時代お世話になってた日焼けサロンの社長にお願いして「社長!1年間だけバイトさせてくれませんか」って。1年後自ら店をやろうと目標決めて、日焼けサロンでバイトさせてもらったんですよ。最初はめちゃくちゃ恥ずかしいんですよ。たまたま僕のことを知ってる人が来るとめちゃくちゃ恥ずかしいんですよ。「何で元チャンピオンがこんなところに!?」って。俺も普通にバイトしてますって言えばいいのに、プライドが高くてちょっと知り合いに頼まれて手伝ってますとか、そんな風に格好悪いことばかり言ってました。入って3か月くらい経ったぐらいのことですかね。何でこんな馬鹿なんだと思って、食うためには働くしかないじゃないですか。その職業にケチをつける奴の方が逆に馬鹿だなと思ったり。かと言って世界チャンピオンがずっとバイトしてたらおかしいなと自分でも思って、店をやるという計画もあったので1年頑張れました。ちょうど1999年ぐらいからお店をやり始めました。
そこから半年後くらいにガチンコファイトクラブのオファーがありました。「トレーナーを募集してたんですけど、竹原さんも候補に入ってるんでお伺いに来ました」って。その時は店がめちゃくちゃ忙しかったんですよ。徳光さんの番組に「元世界チャンピオンが頑張って起ち上げたお店」という形で出してもらったんです。それで忙しいのもあったし、その時雇ってたコックがどうしようもない人だったから、僕がいなかったら店を潰されてしまうと思って頑張ったんです。見張らないといけないし、この人に任せてたら店が潰されてしまうってのもあって、調理場に立って料理学びながらやってたんですよ。そのタイミングでのオファーだったのですごい悩んで悩んで、女房とも相談して。結果、宣伝にもなるしいいんじゃないって。当初3ヵ月の予定が3年続いたんですよ。それで今こういう恩恵を受けてるんですよね。
出演してみて、批難もあれば、ありがとうって言われることありましたよ。ボクシング人気が出て、会員が増えたんだから素直にありがとうって言えばいいのに、とあるボクシング関係者は「あんなことやるから生徒が来ないよとか」「会員が減っちゃったよ、だめだよ」って言ってきて。
でも、あの頃ってボクシングブームに火が付いた時期で、プロになった人も多かったんですよね。
ガチンコって結構叩かれたわけじゃないですか、あれはやらせだとかね。そんなやらせかどうかってのは本人が自分を作って出るわけじゃないですか。
今のブレイキングダウンもそうですけど、そうしないと選ばれないし色んな批判もあったし、でも世の中ってそういうもんだなと思って。 いい時に人は寄ってくるし悪くなると来ない人もいればどんな時でも助けてくれる人もいる。ただ、唯一家族だけは絶対にちゃんとやっていればチームだな、仲間だなと思うので家族は大事にしなきゃだめだなと思います。
経営者 竹原慎二
俺はね、経営に向いてないですから。お店も結局丸7年で辞めました。私が結構厳しいです。鞭(ムチ)が多いです。それを分かってくれる付き合いの長い人だったらいっぱいいるんですけどね。
でもそういう訳にもいかず。当時俺が20代後半だったんですけど、アルバイトの子に来てもらっても平気で遅刻してくるんですよ。「なんで遅刻したの?」って聞いたら「犬の散歩させてました」って平気で言うから、怒鳴り上げたことあります。「お前このやろう!」って。 今の時代言えないけど、本当に当日になって休みますとか普通なので、その時は悪いけど「なめてんのか」とか結構言ってたんですよ。
時代は変わって今はアルバイトでも来てくれてありがとねって。いや本当におかしいですよね。一応アルバイトでも稼いでる時点でプロだと思うんですよ。プロ意識持ってやらないとだめだろうと思うのが俺なんですけど、今ねジム経営して21年目かな?結構きついこと言っても、付いてきてくれるトレーナーが20年位で2,3人いるんで、この子たちは絶対に俺が守らないといけない、という考えで頑張ってます。
病気を患って変わったこと
ちょうど癌に患った時ですね。それまではそんなに夫婦仲も良くなかったですけど、病気になってからめちゃくちゃ仲良くなりましたから。はじめは軽いって言われたので、すぐに治るだろうと思って。それが蓋を開けてみたら余命宣告、その時は一瞬諦めたんですよ。もうだめだと思って。
でも女房が本当に親身になって支えてくれて、諦めてたけど死にたくないってなるんですよね。もうちょっと生きたいって。娘が中学校二年生、息子が高校二年生なので、まだ死ぬのは早いなと思った時に色々な目標作って、もうちょっと頑張ってみようっていう精神で乗り越えられた、というのはありましたね。
ただ当時は生き方が適当だったんです。適当に仕事やって夜はいつも飲み歩いて帰ってきて、その繰り返しだったんです。だからそういう事は辞めてもっと家族を大事にしなきゃだめだなと思いながらに変わってきましたね。
ただ楽しければいい、飲み歩いて楽しければいいだろっていう感じでしたけど、病気になってとりあえず「どんな仕事でも楽しみながらやる、どんな仕事が来ても断らずに前向きにやろう」っていう気持ちが生まれてきました。
結構仕事に関してもYESとNOがはっきりしてたので、機嫌が悪かったらずっと不貞腐れてたりしてたんですよ。 どうせやるなら楽しくやらないとだめだなと思うようになって。自分一人がそんな態度だったら周りの人も不愉快になるし、だめだなと思って。あと目標を色々決めて、それに向けて頑張ろうと。どうせ生きてるなら色々な目標に向かって楽しいことやった方がいいなと思って。まあ遊びもそうですよね。お陰様で今は順調なんで、その対価として給料貰って贅沢が出来るわけじゃないですか。だから本当に感謝してますね。
病気で苦しんでいる人に向けて
自分の気持ちが一番ですからね。前向きな気持ちを持ってやるしかないんです。 それでも落ち込むこともたくさんあるので、そんな時は家族に助けられたり仲間に助けられたりして、偉そうには言えないですけど、気持ちを強く持って前向きに生きるしかないなって思います。
振り返って一番しんどかったこと
引退して芸能界に進むって言って何もなかった時ですよね。
だから最初から頭下げて日焼けサロンの社長に雇って貰えばいいのに、変なプライドなのか世界チャンピオンという肩書があるばかりに。プライドというよりただの見栄だったんですよね。そういうのが捨てきれなかった時が一番辛かったですね。 そこを乗り越えたのは、やっぱり食うためには働くしかないからという考え、それと結婚してその時はまだ長男しかいなかったけど、家族を守るためには俺がもうちょっとしっかりしないといけないなっていう、そこの部分ですかね。
振り返って一番の失敗は
失敗はいっぱいありますね。
その時に一番の失敗と思っても、後々考えたら大したことなかったりするんですよ。 親父がギャンブラーだったのに、悪い影響を受けちゃいけないと思っていても俺もギャンブルばっかりやってましたね。 最近は無駄金を使いすぎたなっていう失敗ですかね。
今は割と後輩とか社員とか周りに飯とかで還元してますよ。ギャンブルやる人間は、そこがせこくなっちゃうんですよね。そんなにギャンブルに使うなら豪快にご馳走してあげればいいのにって思いますね。
今の目標、夢
いっぱいありますね。趣味と言えばゴルフです。シングルプレイヤーですよ。
仕事で言えばジムで、男性ですごい強いチャンピオンを育ててやるっていう目標があります。 あとYouTuberとしてもうすぐ70万人登録なんですけど100万人登録が一応の目標ですね。それで60歳位には引退してゆっくり遊びたいな。 でもね、今も十分楽しいんですよ本当に。昔はそれこそ勿体ないとか言って、あまり金を使わなかったのに今はバンバン使ってるので。どうせ死ぬんだから、でも死ぬからって馬鹿みたいに使うわけではないですよ。計画立てて使ってますよ。楽しんだ方がいいなと思って。
女房とも仲良くしてるし、それが一番いいですね。昔だったら携帯電話とか堂々と置いていられなかったです。今は堂々と置いても、勝手に見てください大丈夫ですよって、そんな感じですから。それくらい真面目になりましたから。 病気になってから色々な人が支えてくれたので裏切っちゃいけないなっていうのがあるので。一番パワーを貰ったから裏切れないっていうのもあります。
もしこの仕事をしていなかったら、どのような仕事をしていましたか?
「ゴルファー」
今ゴルフやっていて本当に下手なんですけど、ボクシングと一緒で若い時から続けたら絶対上手くいくなっていう考えがあるし、やっぱり人に見られる個人の何かがいいのかなと思ってます。

編集者コメント 2000年、一世を風靡したTV番組『ガチンコ』への出演を皮切りに、昨今ではSNS等を通じてボクシングファンの裾野を広げ続ける竹原さん。 今や多くの格闘家がSNSなどのメディアで活躍していますが、その道を切り拓いたパイオニアといえる存在です。 その活躍の裏には引退後に待ち受ける厳しい現実や壮絶な病との戦いに打ち勝つ強靭な精神力がありました。 人生上手くいかない時、思い通りにならない時にこそ、培ってきたその人の真価が問われるのではないか。 そんな風に強く感じさせるものでした。


竹原 慎二さん

引退後の厳しい現実、そして闘病。竹原慎二はどう乗り越えたのか。